10月7日放送 の土曜プレミアムで、1988年~1989年に起きた「東京埼玉連続幼女誘拐事件」がドラマ化されます。 番組では、犯人の宮崎勤元死刑囚が犯行を語る肉声を 入手し、その肉声を公開するとともに事件をドラマ化して真相を追及します。今回は、宮崎勤の家族や妹の現在など宮崎勤一族の末路をまとめてみました。
宮崎勤事件とは?
1988年~1989年に起きた「東京埼玉連続幼女誘拐事件」。犯人の名前から「宮崎勤事件」とも言われる。
この事件は、4歳から7歳という低い年齢の女児が被害者となり、犯行声明を新聞社に送り付ける・野焼きされた被害者の遺骨を遺族に送りつけるなどの、極めて異常な行動を犯人が取ったことから、欧米を中心に多発する児童への性的暴行を目的とした誘拐・殺害事件などとの比較も行われ、戦後日本犯罪史上にて初めてプロファイリングの導入が検討された。犠牲者数 4人。
Wikipediaより引用
事件の詳細はコチラ
宮崎勤事件・家族や妹の現在が悲惨!
宮崎勤は、1962年8月21日に東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)で生まれる。実家は新聞会社を経営する、裕福な家庭だった。
宮崎家は曽祖父は村会議員、祖父は町会議員を務めており、地元の名士。家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人だった。
事件後の家族の現在はどうなったのだろうか?悲惨な人生だったことが想像つくけど・・・
家族は宮﨑勤の逮捕から1年後に引越。宮﨑勤は父親に対して私選弁護人をつけてくれるよう要請したがこれを拒絶した。
父親は、被害者遺族への慰謝料捻出のため家、土地等資産全てを手放した後に、東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び降り自殺を遂げた。
作家の佐木隆三は父親の自殺を「現実逃避であり被害者家族を顧みない行為である」と非難した。
宮崎勤死刑囚に刑執行された時、母親は遺体の引き取りを拒否。
『この子の遺体は適当に処理して下さい』
宮崎勤の遺体はそのまま焼却場へ運ばれました。母親の現在についてはわかりませんが、かなりの高齢になっているので、亡くなっているのかもしれません。
宮崎家の長女(宮崎勤の妹)は、勤務先の会社を退職と婚約破棄しています。
宮崎家の次女(宮崎勤の妹)は在学していた看護学校を自主退学したそうです。
宮﨑勤の家族に対して「お前達も死ね」「殺してやる」という旨の嫌がらせの手紙が大量に殺到したようです。
父親の弟(次男)は、5つの会社の役員を全て辞職。
父親の弟(三男)には娘が2人おり、宮﨑姓を名乗ることの影響を考え、苦渋の決断の末に「巻き込むわけにいかないから」と妻を説得して離婚、娘達は妻に引き取らせた。
母親の兄の2人の息子は警察官、高校教師であったが辞職した。背景には週刊誌で暴露された影響があったと言われる。
宮崎勤一族の末路まとめ
ある新聞記者は、
「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛に苛まれることを知った」
「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」
と語っている。
自分の犯した事件なので、父親や家族が糾弾されるのは仕方ないのかもしれない。しかし、親族らにまで非難の矛先が向けられその後の人生を狂わしてしまうということがわかる。
被害者遺族はもちろんのこと、加害者の家族もずっと苦しむ。加害者は周囲の人のことを考えていないのだろうか?常人であればそこで、止まるのだろうけど。
宮崎家の現在は?
宮崎勤の実家は屋敷と言えるくらい大きいことがわかる。
父親は、被害者遺族への慰謝料捻出のため家、土地等資産全てを手放した。
現在、宮﨑の実家は取り壊されて空き地になっているが、事件の影響が大き過ぎたために土地の買い手が誰も現れず、完全に荒れ地となっている。
宮崎勤事件の詳細や生い立ちは?ドラマのキャストやあらすじは?
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