1979年(昭和54年)に大阪で起きた猟奇的かつ狂気的な銀行強盗人質立てこもり事件である三菱銀行人質事件。この事件の犯人・梅川昭美(うめかわあきよし)はどのような人物だったのだろうか?今回は、梅川昭美の生い立ちや『尼崎事件』の主犯・角田美代子との関係についてまとめました。
梅川昭美の生い立ち
梅川昭美(うめかわあきよし)は、1948年3月1日に広島県大竹市小方向村で生まれた。
8歳時に父親が脊髄を患い歩行困難となり退職、母親は梅川が小5の時離婚した。幼少時代の家庭は貧しかったという。
両親の離婚後、梅川は父親の在所の香川県大川郡引田町に引っ越した。だが父親は長男でありながら家督を継がずに若くして家出をしていたので梅川一族に冷遇されていたという。
それに憎悪を抱いた梅川は1年後に家出し、別れた母親を頼って生まれ故郷の大竹市内に戻った。
工場の炊事婦として朝から深夜まで働く母親の元で梅川はグレ始めてしまった。
中学時代には喫煙、暴行等での補導が度重なり外泊も頻繁になる。広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)へ進学したが、オートバイを盗んで逮捕され、わずか4ヶ月で退学させられる。
悩んだ両親は何年かぶりに再会し、復縁することで梅川の更生を図る。しかし、独り暮らしを始めた梅川は、アパートの家賃や遊興費捻出のため、15歳の時(1963年12月)以前アルバイトしていた大竹市内の土建業者宅に強盗目的で侵入し、女性をを刃先が折れるほどナイフでメッタ刺しにして殺害し、現金や通帳などが入った金庫を奪て逮捕された。
梅川は、特別少年院へ送致収容される。
この事件について梅川は「邪魔だから殺した」「他の奴らはぬくぬくと暮らし、なんで俺だけが貧乏して苦しまないかん」と述べたという。
1979年1月26日に三菱銀行人質事件を起こし、銀行員と警察官を2人ずつ殺害した後、1月28日に大阪府警察本部警備部第二機動隊零中隊に射殺された。30歳没。
女子行員は角田美代子だった?
梅川昭美について調べると「梅川昭美 女子行員」や「梅川昭美 角田美代子」というキーワードが出てくる。
角田美代子といえば、『尼崎事件』の主犯とされた人物です。
『尼崎事件』とは、2012年10月に兵庫県尼崎市で発覚した連続殺人死体遺棄事件。
1987年頃に発生した女性失踪事件を発端に、主に暴行や監禁などの虐待により死亡したとされる複数名の被害者が確認されているという猟奇的な事件。
角田美代子は、1948年生まれで兵庫県尼崎市出身。
梅川とは同い年ということになる。三菱銀行人質事件で監禁された女子行員だったのかと思って調べてみると、梅川昭美の愛人だったという情報もあった。
しかし、この愛人説には確証がない。2人とも亡くなっているので、確認のしようがない。
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