寡黙で温厚、そして頭脳明晰。天才と呼ばれた土谷正実(つちやまさみ)元死刑囚。オウム真理教で「クシティガルバ」というホーリーネームで呼ばれた。土谷正実がいなければ、史上最悪のテロ「地下鉄サリン事件」が起きなかったのかもしれない。今回は、土谷正実の生い立ちや両親や婚約者についてまとめていた。
土谷正実の生い立ちは?
土谷正実。ホーリーネームはクシティガルバ。元第二厚生省大臣。教団内ではサリンやVXガスの生成、LSDの合成における中心人物であった。また、オウムの信者の中でも、最も遅くまでマインドコントロールが解けなかった信者の一人であった。 pic.twitter.com/ywMIaUidDy
— オウム幹部bot (@aumkanbu_bot) 2018年10月4日
土谷正実は、東京都町田市で生まれで、家庭は裕福だった。
両親と5歳下の妹、7歳下の弟の5人家族。
驚いたことに子供の頃はネクラで地味、母親から非常に可愛がられてどこに行くにもついて回ったという。
町田市立南中学校に入学するとクラスの人気者になる。
東京都立狛江高等学校に進学し、ラグビー部に入部。
ラグビーに打ち込み、主要選手として活躍した。
この頃の性格は明るくひょうきんで、同級生にも後輩にも好かれていたというから子供の頃とは別人のようになっていた。
高校卒業後は、一浪して1984年に筑波大学第二学群農林学類へ進学。
当然のようにラグビー部に入部。
しかし、入部早々にケガをしてしまい5月末には退部を選択せざるを得なくなって、自暴自棄になり酒浸りの毎日を過ごしていたという。
筑波大学卒業後は筑波大学大学院化学研究科へ進学。
大学院では有機物理化学研究室に入室し、炭化水素の光化学反応を研究。
博士課程に進んだがオウムにのめり込んで研究室へ顔を出さなくなり、1993年に正式に中退した。
オウム真理教に入信した経緯
1989年2月、同乗していた車が交通事故を起こして鞭打ち症を患い、医師の勧めで水戸市内のヨーガ教室へ足を運び出す。
1989年4月22日、友人から麻原彰晃説法会に誘われた。説法は遅刻して聞き損ねたが、科学に詳しい村井秀夫に興味津々になり、村井の勧めに従い同日世田谷道場を訪れた。
「ここなら本格的なヨーガの修行ができる」
と、宗教団体との認識を持たずに入信したのがきっかけだった。
土谷正実は両親を恨んでいた!
オウム真理教に入信した頃に、母親は心配で脱会するように説得したが失敗に終わってしまった。
オウム真理教に入信する条件として、
・他人を絶対勧誘しないこと
・毎月実家に帰ること
・修士はとること
と約束した。
この頃の土谷正実は、世田谷道場や水戸支部へ通い詰め、高い値段のオウム教材購入やセミナー参加料の出費により教団への借金がかさんだ為、学習塾、家庭教師、警備会社、豆腐屋と朝から晩までアルバイトに明け暮れる毎日。
また、「1日1食、睡眠3時間」の教えを実行しながら車のハンドルを握って交通事故を繰り返していたためにアルバイト先の学習塾生徒の親からお金を貸りたりもしていた。
稼いだバイト代を全額教団につぎ込んで、正しい思考能力をだんだんと失っていったようだ。
周囲の人に借金をしたり、学習塾講師・家庭教師の立場を利用して生徒の中高生何人かをオウム真理教に入信させていたことが両親の耳に入った。
両親はまたしても脱会するようが説得するが上手く行かず、「現代のお助け寺」として認知される茨城県の更生施設「仏祥院」に脱会をお願いした。
土谷正実は、仏祥院の独居房「反省室」に拘束された。
しかし、実家の電話をオウムが盗聴しており、土谷が仏祥院に居ることがオウム真理教にバレてしまった。
ここから土谷正実の奪還を巡ってオウム真理教との激しい攻防が繰り広げられた。
オウム真理教は、土谷正実の実家近辺に「土谷正実くん不法監禁される!」という中傷ビラが撒かれ、教団が土浦警察署に不法監禁の訴えを出した。
さらに、実家近隣300軒、父親の勤務先、仏祥院近辺にも中傷ビラが撒かれた。
「家に火をつけるぞ!」という中傷電話・無言電話がかけられ、妹が脅えるほどであった。街宣車を5台結集させて仏祥院に連日のように押しかけ、解放を要求した。
結局、土谷正実は1991年9月5日にオウム真理教に出家した。
サリンを作ったのは、土谷正実。もしこの時に土谷正実が脱退していれば、史上最悪の無差別テロ「地下鉄サリン事件」は起きなかったのかもしれない。
土谷正実の両親のその後は?
土谷正実の父親は地下鉄サリン事件の直後に亡くなっている。
母親もほとんど家から出ることがないという。
事件加害者の家族のほとんどは、
・引っ越し
・まともに職に就けない
・自ら命を立つ
・離婚
など、普通の生活を送れなくなる人も少なくない。
加害者の家族もまた被害者になるという現実。
2006年以降、洗脳が解けたあとに「オウム真理教家族の会」会長の永岡弘行や、幼馴染の大石圭を通じて家族との和解を試みるも、最後までかなうことはなかったという。
土谷正実は婚約者と獄中結婚していた!
土谷正実は、婚約者と2009年12月に獄中結婚している。
死刑囚の結婚の場合、死刑確定後は面会が制限されるため、支援者が死刑囚と結婚をして配偶者や親族として面会することができる。
土谷正実と幼なじみだった作家の大石圭さんによると死刑執行後、遺骨は婚約者だった嫁が引き取ったといいます。
嫁は一般人なので、名前や顔画像は公表されていない。
土谷正実くんの遺骨は、獄中結婚した彼の妻が引き取りました。昨夜、彼女から「一緒に家に帰って来た」という連絡を受けました。これは彼が望んだことなので、これでよかったと僕は思います。彼の妻は一般の人です。彼女については詮索しないでください。
— 大石圭 (@ObpcVsDh4d1y9Y6) 2018年7月10日
土谷正実くんの妻から連絡をもらいました。彼は僕のことをただひとりの友達だと感じ、兄のように慕っていたと聞きました。彼の最期の瞬間を想像すると、今も体が震えます。被害者のことを考えれば、軽々しいことは言えません。彼の冥福を祈ることは、赦されるのでしょうか?
— 大石圭 (@ObpcVsDh4d1y9Y6) 2018年7月7日
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