2017年8月31日、ダイアナ元英皇太子妃が亡くなってから20年が経ちました。
事故当時、その悲劇的なニュースが発表されると世界中からダイアナ妃の死を悼む声が相次ぎました。
恋人やパパラッチが真相を語り始めています。
今回は、ダイアナ妃の真相についてまとめます。
ダイアナ妃の事故の真相は?
出典:http://www.elle.co.jp/culture
1992年12月、ダイアナ妃とチャールズ皇太子は別居生活をすることになります。別居の原因はチャールズ皇太子とカミラ氏の長年の不倫でした。
1996年8月にダイアナ妃とチャールズ皇太子は離婚を発表。
チャールズ皇太子との離婚により、ふたりの王子たちの親権は平等に持ち、莫大な慰謝料も獲得しました。ケンジントン宮殿にも引き続き居住が許され自由を手に入れました。
1997年 パキスタン人の心臓外科医ハスナット・カーン、続いてエジプト人の大富豪の息子ドディ・アルファイドと交際が発覚しました。
1997年7月に、ダイアナ妃とドディ・アルファイドがヴァカンス先でクルージングを楽しんでいる様が発覚し、パパラッチの追跡は加熱していきました。
ダイアナ妃の死は突然訪れました。
8月30日に、パリに降り立ったふたりをパパラッチは待ち伏せ。
ダイアナ妃とドディ・アルファイドは、その翌日未明の0時20分頃にホテル・リッツの裏口からメルセデスベンツで脱出。
猛スピードでカーチェイスを繰り広げる途中、ドライバーが運転を誤り、中央分離帯に激突して車は大破。
ドディ・アルファイドは即死、ダイアナ妃も頭と胸に致命傷を負い、午前4時頃には正式に死亡が確認されました。
ダイアナ妃の葬儀に世界中が涙!
ダイアナ妃が事故後、パリのピティエ=サンペトリエール病院に搬送されそこで息を引き取りました。
エリザベス女王は当時、英国王室が遺体を引き取ることに抵抗があったといいます。
チャールズ皇太子に
「彼女はウィンザー家を去った人です。スペンサー家が彼女の遺体を引き取るべきです」
と言いました。
しかし、チャールズ皇太子の説得により、ダイアナ元妃は1997年9月1日、チャールズ皇太子と元妃の姉レディー・ジェーン・フェローズ&レディー・セーラ・マッコーコデールに引き取られ、英国に遺体は帰ることができました。
ダイアナ妃の準国葬が執り行われ1997年9月6日の午前9時、ダイアナ元妃の棺桶はケンジントン宮殿からウェストミンスター寺院まで葬列を伴って運ばれました。
大砲の台車に乗せられた元妃の棺桶は馬に引かれ、毛皮の帽子を被った近衛兵に両サイドを守られながら移動。王旗がかけられた棺桶には、白いユリの花と「Mummy(ママ)」と書かれた封筒が添えられていたのだそうです。
ダイアナ妃の事故写真(本物)がエグイ!
ダイアナ妃の事故現場にはたくさんのパパラッチがいたので、事故写真がたくさんあります。
中には、マスコミにあり得ないくらいの高額で売りつけようとするパパラッチもいました。
インターネットが普及し、ダイアナ妃の本物の事故写真も世界中に流出しました。
かなりグロ画像なので、観覧には注意してください。
出典:http://karapaia.com/archives/52071895.html
※画像をクリックするとモザイクが外れます。
ウィリアム、ヘンリー両王子から見たダイアナ妃とは?
「母は堅苦しくない人間で、笑うことと楽しむことを何より好みました」
「宮殿の壁の向こうには、普通の暮らしがある。母がそれを忘れたことはありませんでした」(ウィリアム王子)
「母は、子どものようでした。完全なる子ども……そんな感じです。母が僕に掲げたモットーに、“やりたいようにいたずらしなさい。だけど捕まっちゃダメ”というのがありました。他の親と比べても、やんちゃな人物でした」
「母はプライバシーを大事にしていました。そして“プリンセス・オブ・ウェールズ”としてではなく、母であることを大切に考えたのです。何としても、僕と兄に普通の暮らしをさせてみせる……母はそう決意していました」
「彼女は我々の母で、それはいまも変わりません。息子として、世界でいちばんの母だと言いたいし、母は僕たちを愛で満たしてくれました。それは確かです」(ヘンリー王子)
ダイアナ妃は、外見だけでなく、心も美しいから、世界中の人から愛された。愛に溢れた方だったんですよね。
長生きして、お孫さんの顔(ジョージ王子、シャーロット妃)を見て欲しかった。家族のことだからわからないことはたくさんあるけど、チャールズ皇太子はあまりに不誠実に思えて悲しいです。
ダイアナ妃のファッションセンスは今も色褪せない
出典:http://www.coin-library.com
以前のダイアナ妃はセーターにジーパンでした。チャールズ皇太子と婚約後にファッションに開眼したようです。
ダイアナ妃は、自分のスタイルを見つけようと、さまざまな英国人デザイナーの服を懸命に試しました。
王室御用達の格式のあるデザイナーだけでは満足せず、自ら街に出てファッションを研究し、新しいデザイナーを開拓したという。
起用したのは、セント・マーチン・スクールを卒業したばかりの若手デザイナーもいれば、ブルース・オールドフィールドのようにダイアナのおかげで有名になったデザイナーもいました。
さらにキャサリン・ウォーカーとは二人三脚でさまざまなスタイルを作り上げ、生涯に渡って信頼を置いたという。
ダイアナ妃のファッションは、今見てもまるで色褪せない、本当に美しい方でした。まさに眼福します。
ファッションにもその生き様を強く感じます。ピンクを着てもパープルを着ても、そのどこか憂いを秘めた美しさに華を添えるような。
今ももしご健在であったら素敵に歳を重ねていたでしょう。
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