6月13日放送の「ザ!仰天ニュース」でボクシングトレーナーの梅津正彦さんが特集されます。梅津正彦さんはしずちゃん(山崎静代)のトレーナーとして有名ですね。しかし「ほくろのがん」と呼ばれる皮膚ガン「メラノーマ」によって2013年7月に亡くなられました。今回は梅津正彦さんと死因である「メラノーマ」について調べてみました。
梅津正彦とは?
生年月日:1968年12月13日
没年:2013年7月23日
没年齢:44歳
出身:山形県酒田市
学歴:山形県立酒田東高等学校
職業:ボクシングコーチ アクションディレクター
山形県立酒田東高等学校卒業。大学中退。高校でボクシングを始め、ソウルオリンピックを目指したが、怪我のため引退。
映画監督を志し松竹シナリオ研究所入所。松竹大船撮影所等で映画・テレビドラマ、野村芳太郎監督の戦争ドキュメンタリー作品、七人のおたくなどの助監督を務めた。その後ボクサーの経験を生かし、ボクシングコーチ、アクションディレクターとなる。映画・テレビ・CM・舞台等でボクシングやアクション指導をしながら、プライベートレッスン専門で梅津ボクシング倶楽部を主宰し、ダイエット指導等も行っていた。
しずちゃんと梅津正彦の出会いは?
まずはしずちゃんがボクシングを始めたきっかけですが、元々ボクシング漫画の名作「あしたのジョー」のファンでした。
上京後、ロバートの山本さんに誘われボクシングジムへと通う事になります。そこへドラマでボクサー役のオファーが来ました。そのドラマがNHKのドラマ「乙女のパンチ(2008年)」で、ジャイアント乙女という役でした。
身長182センチから繰り出すパンチが強烈で、「ぜひボクサーにならないか」と口説いたのが、このドラマのボクシング監修をしていた梅津正彦さんでした。
ここから2人の出会いが始まりました。梅津正彦さんはソウルオリンピックに出場することを目標にしていましたが、怪我により断念しています。
2012年のロンドンオリンピックより女子ボクシングを正式種目として採用することが決定しました。
日本の女子ボクシングのミドル級はほとんどいないので、「しずちゃんとならオリンピックに行ける!」と自分の夢も重ねたのではないでしょうか。ここから2人の師弟の絆が深まります。
しかし、しずちゃんのボクシングトレーナーの梅津正彦さんは病に冒されてしまうのでした。
梅津正彦の死因はメラノーマだった
梅津正彦さんが亡くなられた原因は「ほくろのがん」と言われるメラノーマでした。
メラノーマとはどんな病気なのでしょうか?
メラノーマとは?
メラノーマとは、悪性黒色腫という非常に悪性な皮膚がんの1つの病名です。一般的には「ほくろのがん」「ほくろのような皮膚がん」などと理解されています。医学的には皮膚の色に関係するメラニンという色素を作る色素細胞(メラノサイト)ががん化した腫瘍と考えられています。
メラノーマの原因は?
・紫外線
・遺伝
・外的刺激
・ほくろの刺激
メラノーマの症状は?
・皮膚の色の変化
・ホクロやシミの大きさや形の変化
・硬いホクロ
・爪に黒い縦の筋が入る
・爪が割れる
メラノーマの治療法とは
・手術
・抗がん剤
・重粒子線、速中性子線
メラノーマは10万人に3人がなる病気と言われてます。黒っぽいできものや不規則な形の「シミ」が数カ月前にできて自然に治らないという場合はすぐに病院に行ってください。
梅津正彦のメラノーマの場所や部位はどこ?
出典:http://lance.way-nifty.com/
メラノーマになる場所は、足の裏が多いですが、梅津正彦さんの場合は、太ももでした。
【2012年1月】
太ももの腫瘍に悪性の疑いがあると宣告を受ける。1週間後の検査結果で、メラノーマという皮膚がんの一種であることが発覚。
【2012年1月・2月】
メラノーマの切除手術を受けるが、既にがんが肺に転移。余命1年と宣告される。
【2013年7月23日】
梅津正彦さんは44歳の若さで永眠。
しずちゃんボクシングを引退・・・
2013年7月にトレーナーの梅津正彦さんが亡くなってからも、2016年に開催される「リオデジャネイロ五輪」出場に向けてしずちゃんは一人がんばった。
きっと自分の為というよりは、梅津正彦さんのためにがんばったはずです。
しかし、しずちゃんは2015年10月15日、「体力の限界」を理由にボクサーを引退しました。
この時しずちゃんは36歳。たしかにボクシングという過酷なスポーツで36歳はキツイはず。
でも本当の理由は「梅津正彦さんの存在」だったのではないでしょうか?
梅津正彦さんが亡くなった後も、他のトレーナーにもついたみたいですが、やっぱり梅津正彦さん以上の関係になれなかったのでしょう。それほど梅津正彦さんとの絆は深かったのです。
お笑い芸人としての活躍を梅津正彦さんも応援しているはずです。
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